聖人なんかじゃない。
よく某巨大掲示板とかで言われてることなんだけど。
バツイチ子持ちを嫁にして、実の子でもない子供を可愛がるなんて聖人かよ!って。
正にそのバツイチ子持ちを嫁にしたのが俺。
入籍当時はまだ子供も未就学児だったし、結構懐いてくれてたのでそれなりに可愛がってきたつもりだ。
でもちょっと事情が変わった。
自分の子供が出来たからだ。
平等に扱ってあげるのは難しいけど、頑張りなさいよ。親戚のおばさんは俺に言ったがその言葉を噛み締めている。
平等、ホントに難しいよ。
俺そっくりの次女に対して、当たり前だけど父親が違う長女。
母親似なのが唯一の救いかな?仮に父親似だったら、今よりも冷遇していたかも知れない。
近頃、長女を可愛がろうって思いが薄れてきているのを実感するんだ。
子供にはそういうのは伝わるんだろうな。
あまり顔を合わせなくなったし、あからさまに避けられることもある。
姉妹でケンカしていれば、叱るのは長女の方。
彼女なりの反抗なのかも知れないが、やるなってことばかりをやるんだよ。
そうなるとますます冷静でいられなくなる。
嫁は当然長女の味方をするわけだが、それをきっかけに夫婦喧嘩にまで発展することだってある。
そういう時は口にも態度にも出さないけど、お前(長女)のせいだといつも思っている。
子供相手に何を言ってるんだと思われるだろうが、そもそも俺も精神的に大人になりきれていないのかも知れないな。
平等は本当に大変だよ。
次女は可愛くてたまらないのに、長女には一度もそんな感情を抱いたことはない。
むしろ憎たらしいまである。
俺に出来るのは、そういったドロドロした感情を家庭に持ち込まず笑顔の仮面を付けて帰宅することだけだ。
だから、世の中の子持ちと結婚した人(男女問わず)を偉いねとか凄いねとか言わないで欲しい。
偉くも凄くもない。ただ我慢しているだけなんだ。
身近に子持ちと結婚した奴が何人かいるが、俺と同じ悩みを抱えてるらしい。
逆に悩んでない奴は割り切っているらしい。
どうあがいても実の親子になることは出来ないし、それならただの同居人として割り切るんだそうだ。
相手が子供である以上、それも難しい話かもな。
こんな話、間違っても嫁には言えないし話すような相手もいない。
だからここに書いてみた。
鳥居はくぐるな?
物心付いた時から親に言われていました、鳥居はくぐるなと。
幼い頃住んでいた家の近くに、公園併設の神社がありました。
近所の子供たちの遊び場でしたが、入り口には鳥居があります。
遊びに行く時、母親も祖母も「鳥居はくぐっちゃだめだよ」と良く言われたものです。
当然疑問に思うわけで、親に聞いてみたことがあります。
要約すると以下のような回答でした。
・うちには御本尊様がある。
・御本尊様はうちの神様みたいなものである。
・神社にも神様がいるから、神様同士で喧嘩になる。
・だから神社には基本的に行ってはいけない。
では鳥居をうっかりくぐってしまったら?
怪我したり病気になったり、良くないことが起きると言われました。
幼かった自分は素直にそれを信じ、どこに行っても頑なに鳥居は避けて通りました。
同様の理由で、地域のお祭りの参加も禁止されていました。
たまたま家の近くが会場だった時は、盆踊りの音が聞こえてきて悲しい気持ちになったのは忘れられません。
盆踊りは子供会で練習があったりもしたのですが、もちろん練習も行けなかったのです。
母親なりの気遣いなのか、お祭り当日は外食に連れて行ってもらったこともありました。
それがいつ頃からか、お祭りの参加が許されるようになりました。
お神輿もそれまではダメだったのに何も言われなくなりました。
地域の子供たちの交流の場でもありましたので、参加出来た時は嬉しかった。
鳥居のことも言われなくなったのは恐らく同時期だったかと。
学会の中で何かあったのかも知れませんね。
学会にもお祭りはありました。
市内にあるでっかい会館で開催されるのですが、これに同級生(非学会員)を誘ったことがあります。
当時小学生でしたが、同級生に申し訳なさげに「お母さんに行っちゃダメって言われた」と断られました。
昔から学会に対する偏見(?)はあったのでしょう。
今では鳥居をくぐっちゃダメというのは過去の話になっているようです。
ですがくぐっちゃダメな時期があったのは紛れもない事実です。
「お山に行くよー」の意味
かつて学会員は、「登山」と称して静岡県は富士宮市にある大石寺というでっかい施設に通っていた。
名称はよくわからんが、巨大なホールのような所でお題目をして帰るというものだった。
我が家では親から「今度の日曜、お山に行くよー」と言われるとガッカリしたものである。
子供にとっては、何一つ楽しいことなど無いのだから。
強いて言えば敷地内にある土産物屋でおもちゃが買ってもらえたくらいだろうか?
実際、自分より幼い弟は毎回行くのを嫌がっていたがおもちゃに釣られて渋々行ってたようなものだ。
記憶が曖昧なのだが、入場にはチケット的なものがあったように覚えている。
あれは有料だったのか無料だったのか、実際のところは知らない。
とにかく、定期的に訪れるこのイベントは自分も好きではなかった。
登山と呼ばれるのは、お題目するホールまで延々と徒歩で登っていくことかららしい。
駐車場に車を停めたら、そこから30分くらい(だったと思う)歩くのである。
道中は土産物屋が立ち並び、食事が出来るところもあった。
学会が破門になった後は、客足が途絶えたであろうことは想像に難くない。
散々歩いた後は、子供にとっては非常につまらない時間が待っている。
ホールに入るまではやたらと並ぶし、そして中の座席は冷たくて固かった。
だから冬の寒い時期は苦痛の度合いが半端なかった。
ホールの真ん中に巨大な仏壇があり、その前で偉い人?がお題目を唱える。
それに合わせてホールにいる参拝者も大声で唱える。
これは子供心にも異様な光景であった。
自分ら兄弟はお題目なんてやらずに前述の土産物屋で買ってもらったおもちゃで遊んだり、当時は最新ハードだったゲームボーイをプレイしたり。
しかしホール内は薄暗く、初代ゲームボーイはバックライトなんて気の利いた物は無かったのでまともに出来なかった。
その後、よく知られる学会の破門騒動により「お山」に行くことはなくなった。
その経緯については、少年部や中等部で散々聞かされた。
大石寺敷地内の桜の木が伐採された時には、青年部のお兄さん方に連れられてその現場を見に行ったりもした。
高校くらいから学会活動はフェードアウトしつつあったので、かなり後になって知ったが件のホールは取り壊されたという。
特徴的な形をした建物だったので、今でもその形は覚えている。
調べたところによると、今でも大石寺の敷地内は一部を除き散策が可能だという。
機会があれば、記憶との答え合わせをするべく散策に行ってみたいものだ。
ドリフト行為をSNSに公開、炎上した件
これもSNS時代の弊害なのかな。
でも炎上、謝罪で済んで良かったねと思う。
と言うのも、昔は走り屋のいるスポットには「潰し」と呼ばれる怖い人がいたから。
そういう方々にボコボコにされなくて良かったね、と。
彼らは木刀や金属バット持参でやって来て、車やバイクを破壊したり時には走り屋本人に怪我をさせたりする。
何故か、潰しの皆さんは警察と交互に現れるのも特徴。
走り屋の人たちは良くないことをしているという自覚はあるので、愛車を壊されても怪我をしても泣き寝入りというパターンが多い。
仮に警察に泣きついたとしても「そういう行為をしてたんでしょ?」と言われるのが目に見えているから。
それから走り屋にとって警察は天敵であり、天敵に泣きつくなど「ダセェ」という無意味なプライドもあるのだろうね。
しかし、何故「潰し」は現れるのか。
直接迷惑をかけられた訳でもない彼らは何の為に暴力を振るうのか。
答えは単純。彼らに潰し行為を依頼した人がいる。
何の理由もなくあんなことをする人がいたら、それはサイコパスである。
では、誰がそんな依頼をするのか?
普通に考えれば迷惑をかけられた人だろう。
峠に行く道中に住んでいる人、もしくは走り屋が集まる場所の付近に住んでいる人。
そういう人たちが警察に通報する。警察が現場に来る。
でも走り屋は逃げ足が早い。せいぜい「散らす」ことくらいしか出来ない。
運悪く捕まった奴が切符を切られるくらいだ。
警察が引き上げれば、また走り屋が戻ってくる。以下繰り返しだ。
そこで潰しに依頼…というわけだ。
何故そんな方々と一般市民が繋がっているのかは知る由もない。知りたくもないが。
警察が潰しと繋がっている、なんて噂もあった。
ヤンキーで有名な某県ではそんな話が走り屋の間で囁かれていたくらいだ。
前述の「警察と潰しが交互に登場する」訳を考えたらありえない話でもない。
そもそも走り屋なんてものは、コソコソやるものである。
それこそSNSでどこそこの峠走ってます!なんて書き込むのは堂々と犯罪行為を自白しているのと変わらない。
ましてや動画なんて論外だ、証拠を自ら残してしまってるんだから。
インターネットが市民権を得始めた頃、交流会と称してとある走り屋系サイトが呼びかけをしたことがあった。
何月何日にここの峠で集まって走りましょう!ってね。
当日は警察こそ来なかったものの、収集のつかないくらいの走り屋が集まって交流会は成功したかに見えた。
しかし、音頭を取ったサイトを始めとして参加を表明したサイトのほとんどが荒らされる事態となった。
今で言う炎上である。
当時はSNSなんてものは存在してなかったが、2chでは目も当てられない騒ぎであった。
若者の車離れと言われて久しいが、まだまだ若い走り屋っているんだなと今回のニュースを見て思った次第。
月並みだけどおっさんからは「走りたかったらサーキットに行きなさい」としか言えないかな。
自分も若い頃よく言われたことだけどな。
しかしサーキット走るには金がいる。若者は金が無い。
そんな金があったらタイヤとかチューニングパーツにお金をかけたいよな。
わかる、わかるよ。自分もそうだったから。
だけど我々おっさん世代が数々の走り屋スポットを潰してしまったのは紛れもない事実。
その点はホントに申し訳ないとは思ってる。
長々と語ってしまったが結局言いたいことは車を、走ることを好きな気持ちをいつまでも大切にして欲しいってことだ。
休日に奥さんと子供をミニバンに乗せてイオンに行く、なんてつまらん奴になっちゃダメだぜ。
少年部とは一体何をしていたのか。
※数十年前の話ですので、今の事情とは異なるかも知れないことをご了承ください。
学会には壮年部から少年少女部と呼ばれる区切りがあり、少年部から大体月イチで会合がありました。
地区ごとに○○ブロック(○○には地名が入ることが多い)というものがあり、同じ地区の子供たちは地区内の学会員のお宅に集まって会合が開かれていました。
時々市内にある会館で行われることもあったり。
ちなみに男女は別れており、たまに合同でやることもありましたね。
青年部の方が車で迎えに来て、会場のお宅の仏間に集められた子供たちはまずお題目。
それから小学生新聞や御書をネタに軽くお勉強。
後はお菓子を食べたり、レクリエーションしたりしてお開きになります。
その他、バーベキューなんかの催し物もありました。
大石寺の破門騒動の後は、大石寺のディスりネタがよく出てきました。
思えばこれも一種の刷り込みと言うか洗脳に近いですね。
大石寺は破門騒動の前は親に連れられて定期的に行ってましたが、小学生の自分には退屈極まりない時間だったのをよく覚えています。
この話はまた別の機会にでも。
少年部の頃は、まだ楽しい集まりだったように思います。
歳の近い子供たちが集まるので、それなりに盛り上がったりもしましたし。
これが中等部、高等部になってくると段々と煩わしくなってきたものです。
友達との約束よりも会合優先でしたから。
約束を断るのに、どこで何をするのかハッキリと言えないのです。
折しもオウム事件のせいで宗教というものに厳しい目が向けられた時代でもありましたしね。
今になって思えば、よく嫌がりもせずに少年部の集まりに行ってたものだなと。
お題目?何が良いの?
そんな疑問も言えない位、親は熱心な学会員でした。
それから少年部には、合唱団なるものもありました。
もちろん一般的な歌なんて歌いません。
学会絡みの歌オンリーです。
有無を言わせず参加させられてましたが、声変わりの早かった自分には苦痛でしかなかったです。
各地の合唱団対抗の大会もありましたが、自分の所属していた合唱団は特に目立った成績では無かったです。
余談ながら合唱団には名前があり、その名前は「池田先生直々に付けていただいた」そうです。
今もやってるんでしょうか、合唱団。
宗教二世です。
当方、いわゆる創価二世のアラフォー。
二世問題で苦しんだのは統一教会だけじゃないんだよ。
高校生の頃までは普通に「学会活動」をしていたのだけど、段々と違和感を覚えるようになり会合も何かと理由をつけて出なくなっていった。
でもさ、恐ろしいことに学会員って至る所にいるんだよ。学校にも職場にも。
よくある話で、選挙の時期になるとすぐわかる。
てなわけで、巷で言われている話の真実を語っていきたいと思う。
一般的に言う学会葬(学会では友人葬と呼ぶ)をやると、香典は学会にごっそり持ってかれるって話。
あれは過去の話か、ごく一部のケースだと思う。
うちの祖母が亡くなった時は学会葬だったが、香典を持ってかれることは無かった。
むしろ、普通の葬式と違い出費は少なくなった。
坊さんに金払う必要は無いし、戒名も付けないのでその分は丸ごと浮く計算ね。
恐らく香典からお布施という形で学会に対してお金を渡す人がいたから、前述のような噂があったのかも。
会社の上司(非学会員)が葬儀に来てくれた時、「学会に香典持ってかれるってマジか?」って聞かれた時は笑ったね。
むしろ、学会の人が大挙して来てくれたおかげでお通夜だけで黒字になったくらいだよ。
他にも書き残したいことは山程あるけど、今後少しずつ書いていきたいと思います。