少年部とは一体何をしていたのか。
※数十年前の話ですので、今の事情とは異なるかも知れないことをご了承ください。
学会には壮年部から少年少女部と呼ばれる区切りがあり、少年部から大体月イチで会合がありました。
地区ごとに○○ブロック(○○には地名が入ることが多い)というものがあり、同じ地区の子供たちは地区内の学会員のお宅に集まって会合が開かれていました。
時々市内にある会館で行われることもあったり。
ちなみに男女は別れており、たまに合同でやることもありましたね。
青年部の方が車で迎えに来て、会場のお宅の仏間に集められた子供たちはまずお題目。
それから小学生新聞や御書をネタに軽くお勉強。
後はお菓子を食べたり、レクリエーションしたりしてお開きになります。
その他、バーベキューなんかの催し物もありました。
大石寺の破門騒動の後は、大石寺のディスりネタがよく出てきました。
思えばこれも一種の刷り込みと言うか洗脳に近いですね。
大石寺は破門騒動の前は親に連れられて定期的に行ってましたが、小学生の自分には退屈極まりない時間だったのをよく覚えています。
この話はまた別の機会にでも。
少年部の頃は、まだ楽しい集まりだったように思います。
歳の近い子供たちが集まるので、それなりに盛り上がったりもしましたし。
これが中等部、高等部になってくると段々と煩わしくなってきたものです。
友達との約束よりも会合優先でしたから。
約束を断るのに、どこで何をするのかハッキリと言えないのです。
折しもオウム事件のせいで宗教というものに厳しい目が向けられた時代でもありましたしね。
今になって思えば、よく嫌がりもせずに少年部の集まりに行ってたものだなと。
お題目?何が良いの?
そんな疑問も言えない位、親は熱心な学会員でした。
それから少年部には、合唱団なるものもありました。
もちろん一般的な歌なんて歌いません。
学会絡みの歌オンリーです。
有無を言わせず参加させられてましたが、声変わりの早かった自分には苦痛でしかなかったです。
各地の合唱団対抗の大会もありましたが、自分の所属していた合唱団は特に目立った成績では無かったです。
余談ながら合唱団には名前があり、その名前は「池田先生直々に付けていただいた」そうです。
今もやってるんでしょうか、合唱団。